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天才肌の凡人

【メタな話?】自我と世界の存在を知覚すること、それ自体への恐怖について。

んにちは。葛城です。

 

今回は、「自我と世界の存在を知覚すること、それ自体への恐怖」 について、あえて記しておきたいと思います。

 

というのも、私が「自我と世界の存在を知覚すること、それ自体への恐怖」と表現したこの感覚については非常に説明し辛く、また、この感覚を理解できる人間が恐らくはほとんどいないと思うからです。

 

ただ、この広大なネット世界の中には解る人がいるかもしれない、そんな想いを込めて出来るだけ解りやすく表現してみたいと思います。

 

あるある!という方はコメントください(笑)

 

そもそも恐怖とは?

基本的に恐怖というのは、理由があってこそのものだと思います。

死に対する恐怖、ホラー映画を見た時の恐怖など、一部の精神疾患の人を除けば、何か理由があって恐怖するものです。

 

しかし、私が説明しようといている 「自我と世界の存在を知覚すること、それ自体への恐怖」(以下、「その感覚」とします)については、理由など特に無く、ただ恐いのです。

 

知ってはいけないものを知ってしまったような・・・メタ的な話になってくるのかもしれないですが、「誰も気づいていないが、そこに確かに存在するもの」と表現できなくもないと思います。

 

また、「その感覚」は何かの拍子に突然思い起こされ、絶対に消えることがありません。

 

まあ、「理由が解らないのに恐い」のは恐いよねという話で、何か根源的な恐怖なのかなと考えたりするのです。

 

自我と世界の存在を知覚すること、それ自体への恐怖

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一言で言うと、「ここにいる」こと自体が恐いのです。

ただ、それは概念としてのそれではなく、感覚的に「感じる」ものなので、なんとも表現しがたいものでして。

 

意識を持った生命体として自我を脳が認識しており、また、この世界(宇宙)を認識し、「ここ」に存在している状態。

その状態それ自体への恐怖。

 

「ここ」の定義も難しいのですが、普通に考えれば、ここに存在しているのはごく普通のことでしょう。

 

ただ、概念としてのそれではなく、感覚的に「気づいてしまう」、その恐怖。

 

わかりにくいですね・・・まあ私の頭がおかしいのかもしれないですが。

 

いつ頃からあったか

「その感覚」を始めて感じたのは中学校に入ってからだと思います。それから継続して今もたまに発現するのですが、段々と恐怖の度合いは軽くなっているように感じます。

 

中学の時にその状態になると、どうしようもなく恐くなり、人に会って何か会話しないと収まらないというような状態でした。

今は頻度も減り、人に会わなくても自分でなんとかできるようになりました。

 

とにかくもう終わりだ(これも何か表現として違うが)という感じになり、ビルから飛び降りたくなるのでヤバいです。

 

ひょっとすると思春期と関係あるのかもしれませんね・・・

 

似ている?話

こんな話があります。

四次元を見つけてしまった - 宴(四次会)

 

 この方は、四次元を解ってしまったがために狂ってしまったそうです。

メタ的な話としては似てるかもしれません。

 

私もそうならないとも限らないです。いなくなったらごめんなさい(笑)

 

おわりに

終始わけのわからない文章ですいません。

 

抽象的なことを言いたいわけではなく、本当に表現できないのです。

 

恐らくは、「その感覚」自体が極めて感覚的なものであり、論理的には表現できないからなのでしょう。

 

あまり気にしないでください(笑)

 

それでは。