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天才肌の凡人

私が考える「芸術」及び「芸術性」について。

日、Twitterである方から私、葛城の考える「芸術」「芸術性」とはどのようなものなのか。という質問をいただきました。今回は、その答えを記事にしてみたいと思います。

 

こういう風に私に興味を持っていただき(?)質問をいただけるというのは非常にありがたいですし、ブログのネタにもなるのでウェルカムです。(笑)

 

それでは早速いってみましょう。

 

私が考える芸術とは。

まず結論として、私が考える芸術というのは「私が主観として芸術性を感じるもの」であって、そのモノ自体が芸術品であるか、そうではないか、ということは関係ないということです。

 

確か芸術、アートというものは「機能性を重視した工業製品」などとは相容れないという定義のようなものがあるとテレビでやっていたような気がしますが、単純に私が「美しい」と思えばそれは芸術になると思っています。

 

例えば高級スポーツカーなどは「走る」という基本性能を兼ね備えつつも、もはや芸術の域に達していると思います。

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引用元:LEXUS ‐ LFA

まぁ高級スポーツカーという時点で所有欲を刺激する部分を持たせているでしょうし、芸術性を感じるというのも意図されてのことなのでしょうが・・・

 

工業製品に限らず、もちろん素晴らしい音楽や絵に触れた時なども「芸術」を肌で感じることがあります。

音楽を聴いた時に芸術を感じる場合は、やはり曲を通して作曲者の凡人には到達しえない「才能」を感じた時でしょうか。過去にバンドをやっていたこともあって、そのような天才には嫉妬をせずにはいられません。

 

他には自然が創り出した芸術的な風景、又はそれを切りとったカメラマンの「作品」である写真。そのようなものにも芸術を感じることがあります。

 

まぁ何にせよ主観的に芸術を感じたものが私の芸術ということですね。

 

「広告」と「芸術」。

そもそも、冒頭で説明した質問をいただくきっかけになった私のツイート

コピーというものには本来「芸術性」は必要無いはずなのですが、結果的に芸術的に見えるコピーというものがキャッチコピーには多くあると思います。

これを呟いたのは、最近読んでいるコピーライティングの本に「コピーライターが作るコピーには、上品な文章、芸術的に評価されるような文章は必要無い。求められるのは読み手を成約に導くための文章だけである」というようなことが書いてあったからでした。

 

ただ、新聞広告や電車の吊り広告、ポスターなどに使われているキャッチコピー及び広告全体(デザイン)には芸術性が感じられるものが多々あると思います。

 

このような広告媒体は、イメージ重視のコピーを用いて目にしていく人々に何らかのイメージを与えるという使い方が有効だということが長年のマーケティング研究で解っているそうです。

 

だからこそ、ハッとさせられるような強烈な印象を与えるコピー、デザインが有効であり・・・時に芸術性を感じさせるほどの広告が出てくるのではないかと思います。

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引用元:earth music&ecology アースミュージック&エコロジー / ストライプインターナショナル

 

広告って良いですよね。

 

まとめ

そういうわけで、私が考える芸術とは「私が主観として芸術性を感じるもの」という感じになります。アート目的でつくられたもので無くても、そこに私が「芸術性」を感じればそれは芸術になるという感じですかね。

 

それでは今回はこのあたりで。